戦わない
12月、重い出来事がどーんときて、
学校関係のことだったけど、
まあ「義理を選ばない」と決めて、びびりながらもそっちに行きつつ、
やはり自分の無価値観と罪悪感の重さは底知れず、
めちゃめちゃ自己嫌悪の中にいたら、なんとわたしが学校行ったその日に子どもが怪我をして帰ってきた。
今まででこんな怪我をしたのは初めてでびっくりしました。
しかも病院とかも全然診てもらえなくて、ありえないくらい時間くって(5時間くらい待ってた)、
わたし病院とかはいつもなんでもなぜかすぐにあっさり終わるから、あまりに時間かかりすぎたのが信じられなくて落ち込みました。
そのあと、嫌いな親戚からコロナだからってお年玉送ってきて、
その出来事自体もかなり心削られたのですが、
その手紙に「コロナのせいで帰れず、お年玉もないなんて悲しすぎるのでお年玉を送ります」
という意味不明の手紙が入っていて
「ハア?コロナ悪くなくない?」と自分の中で思って、
ん?
となんか反転したんですよね。
たとえ正月自粛なってもコロナは悪くないよね?
ていうか、ほんとはこの嫌いな親戚も別に悪くないし、学校も悪くないのか?
あっ!自分で敵を作って戦ってるだけ?
と気づきました。
なんで戦おうとするんだろう。
なんで敵だと思ってるんだろう。
結局自分が敵を作って戦いたいだけなのかもしれない。
自分を正当化するために敵と戦って勝ちたいだけなのかも。
戦って満身創痍になる自分を「頑張ってるわたし!」って酔いしれたいだけなのかも。
別にイラッとかモヤっとなることがあっても、ただ「わたしの中の戦いのエネルギーの投影なんだな」と一回フラットになれたらいいなと思いました。
感情で「こんにゃろー」と思うから、それ(現実)は強くなる、
それを敵にしなくていいんだ、感情的に捉えずにただその対象もふくめて世界を信頼すればいいんだよね…
感情でつらいことがあっても、絶対悪いことなんてないし、そのあとにでも自分のレベルアップのためのプレゼントがいつも用意してある、いつも大きな愛が全体を満たしている。
というまた少し玉ねぎの薄皮がむけた大晦日でした。
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